批判の根っこは貴重な意見。なのかもしれない。
どうもです。
ブログに対しての批判を見ていると、見る度になんとも言えない気持ちになります。
わざと煽って書いている人もいるでしょうけど、なんか寂しくなる。
なんでただごちゃごちゃ騒いでるだけの批判に見えるのかなと思ったら、
やっぱり言葉使いだと思いました。
言っていることに対してはすごく同感でも、
その物の言い方で台無しになっている貴重な意見がたくさんあると思います。
僕は学がないので、ちゃんと正しい言葉を使えているかどうかもわかりませんが、
人が見ても嫌な気持ちにはならないように、書き方には気を付けているつもりです。
普段の生活での言葉使いはひどいかもしれませんが。
一つの考えに対して、結論に辿り着くまでの過程での考え方は違っても、
最終的に似たような所に辿り着くことがわかりました。
僕がこの間書いたこの記事ですが、
言及させてもらった方からすぐに「おもしろかった」とコメントを頂きました。
で、Twitterでも繋がれて、記事を読んでからの考えもツイートしてくれました。
それで思ったのですが、一つの文章に対しての捉え方や理解の仕方は違っても、
最終的な部分は近いような気がしたんです。
普段の生活や置かれている環境で、言葉の使い方や言い回しが違ったとしても、
敵意剥き出しの言い方ではなく、ちゃんとした会話で気持ちを言い合えば、
結局同じような結論になるんだなと。
もちろん、どう考えても意見が合わなかったり、
お互い譲れないこともたくさんあると思います。
でも、そこで批判感を丸出しにした汚い言葉で相手に詰め寄るよりも、
相手がどう考えてそこに辿り着いたのかを聞いてみても、
おもしろいんじゃないかと思いました。
そっちの方がただ騒ぐよりも、お互い良い意見が聞けると思うんです。
せっかく自分の考えを発信したり、相手にぶつけたりしているんですから。
喧嘩腰になって嫌な思いをするよりは良い時間になります。
おとなになることは寂しいことだと僕は思っていますが、
こういうことができない皮肉まみれのおとなは、もっとさみしく見えてしまいます。
感情をぶつけることは大事なことだと思いますが、ぶつけ方には気を付けないとな。
と、思った土曜日の夕暮れでした。
以上、最後までありがとうございました。